療養記録~その1~

精神疾患
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療養日記

はじめに

もうすっかり心地よい春の陽射しになってきましたね。

今回は、私の人生を変えるきっかけでもあった、
精神疾患の治療や状況についてと、私が行った最初の対処法について簡単にお話します。

私について

以前、「自己紹介」という投稿にてざっくりと発症の経緯をお伝えしました。

少しまとめますと、
人材派遣会社に新卒で入社、家電量販店の携帯電話コーナーに配属され3か月ほどで適応障害を発症。
※以後この期間のことを「適応障害」と称します。
異動を申し出るも、甲斐なく退職。
半年ほど無職のまま、ひたすら好きなことをする日々を続け、またもや人材派遣会社に転職。
営業事務になることを約束され、現場経験としてアパレル店舗へ配属、そののち再発。
軽度~中度(お医者様によって判断が様々でした)のうつ状態に。
※以後この期間のことを「うつ病」と称します。
労働日数を減らすも、甲斐なく退職。

ざっとこんな感じで、現在は月1回メンタルクリニックとカウンセリングに通っています。

適応障害~症状~

新卒入社してすぐは、社会人になったというプライドを胸に日々頑張っていました。
しかし、完璧主義な私にとっては、気づかないうちにそれが負担になっていたのです。

最初の症状は、連日の下痢です。
出勤日だけ、朝必ず下痢をするようになりました。
母がかなり胃腸が弱くすぐお腹を壊す体質なのですが、
私にも遺伝していたため最初は気にしていませんでした。
ですが、さすがに見事に出勤日だけ下すので、少し気がかりに思うようにはなっていました。

次の症状としては、手の震えです。
売り場に立つと、利き手の右手が小刻みに震えることが多くなりました。
もともと緊張しいので、人前に出ると手が震えることはあったのですが、
第三者から見ても気づくほどになったので、危機感を感じ始めました。

その次の症状としては、動悸です。
同じく、出勤時間が近づいたり売り場に立ったりすると、呼吸が苦しくなるようになりました。
コロナ禍のためマスクをしていたから…と思いたいのですが、
マスクをしたまま働いていたアパレルのアルバイトの頃とは苦しさが全然違いました。

あとの症状は、夜は眠れず朝は仕事に行きたくなくなることです。
「仕事嫌だなあ」という感情は多くの人が経験すると思いますが、
「単純に嫌」というよりは、何か人には見えない黒い魔物のようなものがずっと体に張り付いている…
そんな感覚が、出勤日だけあるのです。
休みの日は、魔物は現れません。
が、夜20時すぎくらいから現れてきます。

「明日仕事かあ」と無意識に思い続け、これらの症状が延々と続くようになっていました。

適応障害~対処法~

症状が出始めてから、私が行ったことは次の4つです。

1つ目は、調べること。
症状をひたすら検索していました。
本当は悪化させるだけなのかもしれないので、推奨できませんが…
しかし、調べたことで「私は適応障害なのではないか」と受診のきっかけにはなっていました。

2つ目は、隠すこと。
信頼している友人以外には、ひたすら隠していました。家族にも。
もちろん職場にもです。
しかし、毎日8時間顔を合わせるのですから、隠し通すことは難しいです。
手の震えや動悸に苦しんでいた頃は、震える右手をひたすらお客様には見せないよう背中で隠していました。
紙やタブレットで説明するときの緊張と言ったら…
息苦しいときは、水分補給のふりをしてバックヤードに逃げていました。

3つ目は、受診です。
何度か仮病で欠勤したことがあるのですが、その時に自宅近くの精神科を予約しました。
「適応障害」の自覚があったので診断されたときは、やっぱりという感情が大きかったです。
そして、診断名がついたことで安心した自分もいました。
逃げる理由になった、自分はおかしい人間じゃないと思えたのでしょうね。

4つ目は、相談です。
もう辞める気満々になっていたので、雇用元に「辞職」を申し出ました。
が、まあ引き止められますよね。
「入社して3か月だし、〇〇さんの将来のためにも…」というお決まりのフレーズを聞きました。
1回異動できるかクライアントに掛け合ってみるから、職場には異動や病気のことは言わないようにと指示を受けたときは絶望しましたね。
結局、現場には味方がいないのかと。
まあ、現場社員に相談したのですが、そこでも上司に相談しないでと言われ絶望です。

色々耐えましたが、コロナにかかってからもう出勤する意欲がなくなってしまい、
そのまま退職しました。
傷病手当金だけはしっかり申請しましたよ(笑)

適応障害~その後~

受診してから服薬もしていましたが、よく眠れるようにはなっていました。
眠気でミスをすることも多かったですが…

退職して元気になってきて独断で通院も服薬もやめてしまいました。
本当に、これはやってはいけないですね。
後々後悔することになります。

でも本当に、かなり元気になって食事が摂れるようになりました。
私はアイドルオタクなのですが、ひたすらライブに行きDVDを観てという生活をしていました。
「推しって大事」と痛感しました。
きっと推しがいなければ、今ここに私は存在していないと思います。

実家に帰省したり、友達と会ったり、FP3級を取って自信をつけたり。
(療養・休職中の資格勉強は推奨されていませんので、検討される場合はご注意ください)
そんな感じで、転職活動に挑むことになります。
(こちらは後日掲載します)

ちなみに

余談ですが、心が本当に参っているとき
信頼していた人からマルチ勧誘に遭いました。
絶望その3です、本当に。

きっと、心が病んでいるときって弱みにつけこまれやすく、
かつ判断力が鈍っているからカモにされやすい状態になっているのでしょう。

この記事が、誰かを救えていたらうれしいです。

さいごに

ここまで、適応障害を患っていたころのお話をしてきました。
快方と思いきやうつ病になってしまうので、そのお話はまた後ほど…

何か思い当たることがある人にとって、私の体験談が役に立てばと思う日々です。

最後に、
今日はダメな日でも、明日笑って過ごせるように。
皆さんの明日がちょっとでも幸せでありますように。
今日はすこやかに眠りましょう!

瀬戸山なごみ

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